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 ぶらり歩き   
 35. 石見銀山を訪ねて (2)   平成26年5月2日
 城上神社の境内を散策すると、拝殿と向かい合うように大きな亀石(写真5)が祀られている。この石は延喜年間(901年〜922年)にウミガメの姿をした石として奉納され、その後幾多の変遷を経て大正時代まで道端に捨て置かれる運命となる。しかし、敬神家である田中某氏の夢の中にこの石が出てきて、これまでの経緯を打ち明けて、城上神社の境内に祀られることとなったといわれている。


 城上神社を離れて、大森地区の町並み(写真6)を歩く。この道は降路坂(ごうろさか)を経て西田に続き、銀山街道と呼ばれている。石見銀山は平成19年(2007年)7月2日に、自然と共生した鉱山運営が評価されて世界遺産に登録された。その価値のひとつとして、大森地区に住んだ管理者としての武家、銀生産の経営に当たった商人等の町屋が保存されていることが挙げられている。街路には、当然のこととして電柱の姿はなく、家もすべて木造に限られている。そして、ごみひとつないきれいな町並みの景観を作り出し、江戸時代にタイムスリップしたような風情を感じさせてくれる。

 車を締め出しているため、旅行者は徒歩かレンタル自転車でのんびりと見物を楽しんでおり、安心して散策できる。
 

 そんな町並みの中に、ひと際大きな構えをした白い漆喰壁の邸宅が現れる。石見銀山で町年寄も務め、鉱山経営、金融業、酒造業、郷宿等も営む大森町を代表する商人であった熊谷家住宅(写真7)である。なお、郷宿とは、公用で村にやって来る村役人等の定宿で、代官所から村方への法令伝達などの役割を負っていた。
 
 玄関には端午の節句を祝って武者人形を飾りつている。建物は享和元年(1801年)に建築され、その後土蔵などを増築して明治元年(1868年)に現在の屋敷が整ったという。室内には、熊谷家が日常あるいは接客時に使用した皿、茶碗、酒器、お重等の生活道具、婚礼道具等が展示されている。土間の壁(写真8)には酒造業として製造していた「天領」という銘柄の日本酒のラベルが張られている。建物規模や調度品を見ると、その豪商ぶりから石見銀山の繁栄を窺うことができる。

写真5 城上神社 亀石

写真6 大森地区家並み

写真7 熊谷家住宅(左の建物) 

写真8 熊谷家住居内部

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